武士道その2 -神道-

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雑記(真面目)

神道の教学にはキリスト教ユダヤ教等における「原罪」の教義が入り込む余地が全く無い、逆に人間の魂の生来の善性と神にも似た清浄性を信じ魂を神の意志が宿る至聖の場所として崇拝する、よって神社の霊廟には礼拝の対象物や器具が著しく少ない、本殿にかかげてある一枚の鏡が神具の主たるものである、自分の魂が清浄であるとき、そこに写る自己の姿が神の姿そのものである、と言うわけだ。

 

山川草木などの大自然に対しても神の姿として崇拝し、地域のため国のため次世代のための生涯を送った先祖を神として神社に祭るのは至極当然のことなのだ

 

天皇家は神官の長として一般大衆の尊敬を集め、歴代の武将もその存続を断ち切ろうとはしなかった。天皇家の住まいである御所は神官の居場所であり、よって堀も城壁も無いのだ、たとえ戦国の世においてもだ

 

侍はこの神道から自然に愛国心と忠誠心を育成した「自然に」と断ったのは、神道は信者に殆どなんの信仰上の約束事も規定しなかった、ただ単純な二拍一礼などの礼拝形式を与えただけなのだ。

以上

 

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